読書ノート 江戸幕府の北方防衛(D5) 中村 恵子 著
第4章 松前藩の蝦夷地警備地をたどる旅
第1節 1821年松前藩の復領と警備、そして終焉へ
■第1次江戸幕府蝦夷地直轄の経緯
■1821年松前藩蝦夷地へ復領
■1855年 第2次江戸幕府蝦夷地直轄~松前領縮小も3万石大名に
■若手藩士クーデター~函館戦争~松前藩の終焉
第2節 津軽藩
第3節南部藩
第4節会津藩
第5節 仙台藩
第6節 秋田藩
第7節 庄内藩
第8節松前藩・江戸幕府が確保した樺太を失う
北緯50度以南の樺太 日本領 今の日本人にその認識はない
- 人口41万人
- 石炭 パルプ業 学校320校
■幕末・明治・日露戦争で北方領土帰属確定
- 1854(安政元)年 幕府とロシアが結んだ日露通好条約で、
千島は択捉島までを日本領とする。
- 得撫島以北はロシア領とする。北蝦夷地(樺太)の国境は無確確定。
- 1862(文久2)年 ペテルブルグに幕府代表団を送り、
樺太国境画定交渉を行う。 - 1867(慶應3)年 幕府とロシアは「日露境界画定小樟会議」で
「樺太島仮規則」を調印。 - 樺太の国境は定めず、日本人とロシア人は同居することになった、
- 1875(明治8)年 千島樺太交換条約により、樺太はロシア領、
千島列島全域が日本領 - 1904(明治37)年 日露戦争で勝利。
- 1905(明治38)年 ポーツマス条約で樺太の北緯50度以南は
日本領.千島列島全域も日本領。 - 日本人と原住民の間では、行事を通じて交流があった
■1945年8/9日ソ中立条約を破ってソ連が参戦
- 太平炭鉱病院看護婦の悲劇
- 9人 女性電話交換手
「これが最後です。さようなら、さようなら」 自決
■避難民を乗せた三船がソ連の潜水艦により留萌沖で撃沈される
- 1700余名犠牲 政府は「国籍不明」というあいまいな態度
- ロシアの謝罪なし
- 1949年まで 南樺太から40万人が引き上げ
■第5方面・樋口司令官は自衛の戦いを決意、
- 国境死守と日本人の避難を助ける
- 8/23 日本軍武装解除
- 8/28 アメリカ軍日本上陸 ソ連 択捉島占領
- 9/1 色丹島占領 停戦
■武装解除後の南樺太・千島の軍人および関係者らを
- シベリアに抑留民間人 4064人 軍人 1062人 奴隷労働
- 全シベリア抑留 60万人~70万人 死亡6万人以上
■南樺太・千島をソ連が不法占拠
- 樺太北緯50度以南 千島ウルップ島から占守島
- 国際的には国籍未定地
- ヤルタ密約は無効(イギリス秘密文書)
(アイゼンハワー1956年発表)
<蛇足>
武田邦彦は参政党の「プーチン支持」に異議を唱えていない。
この辺が彼の言動に信を置けない理由になっている。
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