第一章 大アジア主義の理念が何故力を得たか
- 超国家市議→大アジア主義
・盟主は日本以外なし→戦後、アジア支配と批判される
・中世民族主義→近代民族主義
・アジアの独立→日本に倣え→孫文→大アジアを興そうおする
・日露戦争が契機となった - 日本の大国化を歓迎しない白人諸国
・日清戦争→黄禍論 - 道議論・ロマンとして語られた大アジア主義
・日本人の抵抗→「侵略」のイデオロギーとみなされる
・中華思想 性悪説→民族的善意を介せない→今日でもそうだ - 日韓合邦
・「大東合邦論」→樽井藤吉→日韓対等合併→更に清国と同盟する→自由民権運動の流れ
→非現実的→福沢が現実を見ていた
・ヨーロッパ→インターナショナルの流れを反映
・日本自体が弱小国→後に→日韓合邦運動の指針となる
・両国民間志士協同で運動→内田良平→黒竜会結成
・李容九→韓国側→道義的日本→明治天皇の仁政下へ→李朝弱成果から救う
・一進会→日露戦争で日本に協力→日韓清でアジアの連邦化
・一進会→日韓併合で解散を命じられる
・日露戦争→シナ保全
・孫文→清国打倒→」日本と連携→大アジア主義
・「孫文公約」→満州譲渡→日本と連携
・辛亥革命→袁世凱と連携→「公約」反故→米英勢力背景
・21箇条要求
・在満検疫→十万の生霊、と財産→日本国民は絶対承服できなかった
→満蒙独立運動
・在野の「浪人」→源流は西郷隆盛→政府の文明開下を拒否→東洋の独立、解放
・東山満→自由民権運動→東アジアの危機的情勢→国権主義に転じる→玄洋社
・欧歌路線→侵略に同調する者だ
・打田良平→「日本中心全世界平和」→中国人→英米を背景→反日へ - なぜ尊皇攘夷主義者が中国共和制を支持したか
・辛亥革命→共和制→日本長老警戒
・民権主義者→尊皇→共和派の革命派を支持
・孫文→右翼を利用
・孫文の救国愛国を支持 - 日本の革命思想を裏切った大中華思想
・孫文共和思想→宮崎滔天→支持→シナ革命主義・南北妥協
日本の革命思想を裏切った大中華思想
・孫文共和思想→宮崎滔天→支持→シナ革命主義
・南北妥協→革命派の裏切り→革命派財源無し
・頭山、内田→失望
・袁世凱→英米と組んで、反日へ
・革命達成後→清の満州回復→内田は中国革命から手を引く→蒙満独立運動へ
・日露戦争後日本政府→満蒙に対する透徹した国家意思が見えなくなった→内田良平
・満蒙独立運動持続→満州、蒙古、バイカル以東に民族自治区→日本の指導下→大惨事満蒙運動
→事実上の日本統治下になる - 満州国→大アジア主義の申し子
・満蒙独立運動→日中衝突→排日運動→築いてきた資産放棄か の洗濯
・大アジア主義運動→大川周明 石原莞爾→満州建国運動
・張作霖爆殺→ソ連? - 1933年→フィリピン→ベグニノ・ラモス→サグダル党→即時独立を掲げる
→日本との同盟
・ルーズベルト→日本はアジアの盟主となるべき
・アメリカ→実態は中国政治に干渉、軍閥間闘争を助長→日本政府→東洋の平和の脅威 - 大アジア主義→侵略主義でない
→日本」の覇権のためでない※中国は日本がどう思おうが、己の覇権を求める
→「アジア人のためのアジア」→「侵略と見なした
→大東亜共栄圏構想→戦後の日本人→アメリカの言うがままに→侵略と思い込んだ
→孫理由の一端→そう言われても仕方ない現実があった→うすうす自覚していた
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